そうして向かった奴隷市場は、相変わらず胸くそ悪い場所だった。
やっぱり俺は奴隷制が嫌いだよ。だいたい、どうして人間を道具としてお金で売買するのが許されるのか。
この世界、この国は理不尽が多いが、奴隷制度はその最たるものだと思う。
鎖に繋がれ、手かせをはめられた奴隷たちが狭い檻に押し込められている。
向こうではオークションをやっているらしく、台の上に立った奴隷たちが自分の名前と特技を書いた札を持っていた。オークションを後ろの方から見ていたら、奴隷商人に話しかけられた。
愛想のいい笑顔を浮かべているが、同時に警戒心も見て取れる。
エリーゼを買ったのはならず者の町だった。
あそこじゃ盗賊ギルドのバルトが付き添いに来てくれたおかげで、待遇が良かった。
俺はここじゃ見慣れない顔だろうからな。
「お客さん、見ない顔ですね。今日はどんな商品をお探しで?」
人間を商品と言ってはばからない。俺はイラッとしたが表には出さずに言った。
「生産スキルが得意な人を探している。戦闘はできなくてかまわない」
「それでしたら……」
奴隷商人はオークションから離れて、建物の一つに俺たちを招き入れた。
何人かの奴隷が引き出されてくる。比較的若い人からお年寄りまで、さまざまだった。
そうして紹介された奴隷は確かに生産スキルを持っていた。
いつぞやのならず者の町の奴隷商人よりも優秀だな。あいつ話聞いてなかったからな。「エリーゼ。どの人がいいと思う?」
エリーゼに聞くと、その場にいた全員が意外そうな顔をした。
え、なに?「お客様はわざわざ奴隷に意見を聞くのですか。これはお優しい」
奴隷商人が嫌味な口調で言う。
そういうことかよ。俺は言い返した。「これから買う奴隷は彼女の仕事仲間になるんだ。相性も大事だろ」
本当は奴隷だって人間だ、お金で売り買いするなど間違っていると言いた
その奴隷を見てみると、浅黒い肌に大柄な体をしていた。骨太な体格だが今は痩せてしまっている。 パルティア人とちょっと毛色の違う感じがする。経歴書には「ササナ人」とある。 ササナ国は確か、パルティアの南にある小国だったな。 確かに農業スキル持ちの割に、お値段が安い。 農業は農奴として人気のスキル。普通ならば引く手あまたのはずだ。この値段では買えないと思う。 反抗的ということで割引中なのだろう。 あるいは、態度が良くなくてどこかの農園を追い出されたとか?「反抗的でも別にいいよ。仕事だけきちんとやってもらえれば、文句はない」 俺が言うと、ササナ人奴隷はちょっと目を見開いた。 まあ、仕事をサボってばかりだとか他の奴隷たちを虐めるだとか、問題行動があまりにひどかったらその時に対応を考えよう。 彼をキープしてもらって、次の人の吟味に入る。 生産スキルはたくさんがあるが、特に欲しいのは鍛冶と錬金術、宝石加工だ。 鍛冶は武具を作るスキル。 良い武具はダンジョン攻略の要だからな。 武具は店売りのものでは性能が物足りない。かといってダンジョンでドロップを狙うのはあまりに運任せすぎる。 ある程度の性能を狙っていく場合、鍛冶スキルは必須になるだろう。 で、錬金術はポーションを作るスキル。 混乱やマヒのデバフ系ポーション、それに回復系のポーションはダンジョン攻略に必須である。 宝石加工は護符やアクセサリーを作る。これも武具に準じる装備品だ。 しかも壊れやすいので半消耗品でもある。しっかり確保したい。 次点で魔法書製作。 魔法書は魔法屋で買うかダンジョンで拾うかしか入手経路がない。 で、魔法屋の品揃えもそのときによってまちまちなのだ。 安定してよく使う魔法の魔法書が手に入るなら助かる。 ただ、俺の得意とする魔法は初歩のマジックアローや戦歌、光の盾など。 これらは店でもダンジョンでも比較的入手
断ろうと思ったが、その子供と目が合ってしまった。 年齢にそぐわない全てを諦めきったような目。ろくに食事をもらっていないと分かる、ガリガリの体。 髪の色は金髪だと思うんだが、薄汚れてぱさぱさなのでよく分からない有り様だった。 今日買った三人の奴隷は、拠点で生産しながら店番をしてもらう予定だ。 ダンジョンに連れて行くつもりはないので、危険はない。 それなら――「分かった。その子も買うよ」「毎度あり!」 奴隷商人のホクホクした顔がムカつくが、俺は黙って代金を支払った。 四人合わせて金貨六枚なり。 全財産の金貨二十二枚から出して、残りは十六枚。まだ大丈夫。 魔法契約で俺を主人に設定する。 農業スキル持ちのササナ人はイザク。 錬金術スキルの女性はレナ。 宝石加工のじいさんはバド。 少年はエミルという名前だった。「みんな、これからよろしくな」 声をかけても反応が鈍い。 エリーゼがとりなすように言った。「皆さん、ご主人様は優しい方です。どうか安心して仕事に励んでくださいね」 同じ奴隷のエリーゼの言葉は、少しは響いたようだ。 彼らはもそもそと挨拶をしてくれた。「反抗的な態度を取ったら、容赦なく鞭打ちをおすすめします。鞭も売っていますよ。銀貨二枚」 奴隷商人がそんなことを言っているが、無視だ無視。 俺は奴隷たちを引き連れて、市場を出た。 夜になるまでまだ間があったので、服屋に行って奴隷たちの服を買った。 奴隷制は嫌いだが、必要以上に甘やかすつもりはない。 これからしっかり働いてもらわないとな。 でも、不潔でボロボロの服は良くないだろ。 一年前までボロばっかり着ていた俺が言うんだ、間違いない。 次に宿屋の部屋を取った。 そこで桶と湯を借りて、それぞれ体を洗わせた。不潔は病気の元だからな。 さっぱりした奴隷たちに新しい服を着せる。 これ
ドォンッ! 体を突き上げるような激しい衝動で、俺は目覚めた。 まわりは真っ暗。何がなんだか分からない。 手探りでドアらしきものを探り当て、必死の思いでこじ開ける。 外は嵐だった。 激しく揺れる地面は木の床で、雨粒と波をかぶって水に沈みかけている。 大波が襲うごとに船は軋んで、今にも壊れてしまいそうだ。 船だ。俺は船に乗っていたんだ。 どうして? 思い出せない。 まるで見知らぬ場所の影絵を見るように、目の前の光景が展開されている。 ドンッ! また衝撃が走る。 すでに沈みかけている船が、波をまともに受けて揺らいでいるのだ。 ギィィと木が軋む嫌な音がして、床の傾きの角度がぐんと上がる。 高波をかぶって俺は転んだ。為すすべはなかった。 船の手すりを掴もうとしたが、全てが遠い。 俺は海に放り出された。 次々と襲ってくる波と雨のせいで、水中に落ちたと気づくのに時間がかかった。 激しい波に濁る海中で、船が真っ二つになっているのが見えた。 真っ二つになって、渦を起こして沈んでいくのが。 それが、俺の意識の最後になった。 パチ、パチと小さな音がする。 全身ひどく寒かったけれど、その音のする方向だけ少し暖かい。 そっと目を開けてみると、オレンジ色の炎が見えた。 焚き火だ。 焚き火のそばに二人の人影がいる。 俺の目はまだかすんでいて、どんな人物なのかまではよく見えない。「うう……」 声を出そうとしたが、うめき声しか出なかった。「おや。目が覚めたか」 若い男の声が答える。「君は三日も眠っていた。ニアに感謝するんだな。わざわざ君を海から引き上げて、こうして世話までしたのだから」 少し視力が戻ってくる。 よく見れば、二つの人影は若い男と少女のようだ。「あなた、難破船から落ちて溺れたのよ。覚えてる?」 ニアという少女が言う。十三歳か十四歳くらいに見えた。「覚えて……る」 かすれた声だったが、ちゃんと喋れた。 男が立ち上がって、俺にマグカップを差し出してくれた。 中身は温めたミルクで、ゆっくりと飲めば腹が温まってくる。「ありがとう、ええと」「ルードだ」 男、ルードは素っ気なく言ってまた焚き火の前に腰を下ろした。「運が良かったな。船はバラバラになって、浜に打ち上げられたのは瓦礫と死体ばかりだった。生きているのが
ため息をついたルードが投げやりな口調で言った。「まあいい。意識が戻ったのだから、我々は先に行く。あてのない旅ではあるが、他人のために足止めはごめんだからな」「ルード。彼は目を覚ましたばかりよ。もう少しだけ助けてあげましょう」 ニアが言うと、ルードはあからさまに舌打ちをした。なんだこいつ、性格悪いな。「そういえば、名前を聞いていなかったわね」「ニア、よせ。名など聞けば余計な縁ができる。今の我らにそんなものを抱える余裕があるか?」「縁ならもう十分にできているわ。今さらよ。……それで、あなたの名前は?」 俺の名は――「ユウ、だ」 何も思い出せないくせに、名前だけはするりと出てきた。 それともYOUのユーだろうか。 分からんが、ユウは意外に馴染みがいい。本当に俺の名前なのかもしれない。「ユウ。もう少し眠るといいわ。私たちが火の番をするから、安心して」 ニアがにっこりと微笑んだ。 横ではルードが苦い顔をしている。 分からないことだらけで不安だったが、体は冷えて疲れ切っている。 返事をするのもままならず、俺は再び眠りに落ちた。 再び目覚めると、体はずいぶんマシになっていた。 焚き火のそばには、相変わらずニアとルード。二人は小声で何事か話している。 俺が目を開けたのに気づいて、ルードが言った。「顔色は良くなったな。起き上がれるか?」「ああ、大丈夫だ」 体のあちこちが痛んだけれど、俺は立ち上がった。 ぐっと手足を伸ばす。洞窟の天井は案外高くて、俺が手を伸ばしてもぶつかったりしなかった。 深呼吸をすると、腹がぐうと鳴った。 いいことだ。空腹を感じるのは、正常なことだからな。「ほら、飯だ。食え」 ルードが投げて寄越したのは……生肉である。 生肉は地面を転がり、土で汚れている。 いや生肉って。病み上がりの怪我人に与えるか普通? 生肉を手に取って俺は困った。困ったが、腹はぐうぐう鳴っている。 仕方なく肉を焚き火であぶってみる。 串もなくあぶったものだから手が熱い。「うおっアチッ」 肉の端に火がついて、ついでに俺の手もやけどしそうになった。こりゃだめだ。 仕方ない、生のままだがかじってみよう。 俺は口を開けて肉にかぶりつく。「ォエェェッ」 で、普通に吐いた。 胃の中が空っぽだったので胃液を吐いてしまった。 当
足元に転がってきたのは、古びた剣と盾だった。 どちらもあちこち錆びついており、いかにもガラクタといった様子。 手に持ってみると無駄にずっしりと重い。質の良くない金属で作ったものなのだろう。 ルードが言う。「お前がこれから一人で生きていくには、まあ、冒険者になるのが妥当だろうな。なにせ森の民だ。下手に出自を知られれば、定住はおろか迫害を受けかねん。であれば、自分の身くらいは自分で守ってみせろ。……ニア」「うん」 ニアが立ち上がって、小さく何事か呟いた。 ぐるり、空気が奇妙な渦を巻く。その渦の中心に小さい何かが生まれた。「ピキー」 それは丸くっこくて水分が多そうな、よく分からない生き物だった。 白っぽいしずく型でぷにぷにしている。 俺は何となく某国民的RPGの一番弱い敵を思い出した。「ピキー」「ピキッ」 そいつらは全部で三匹いる。ぴょんぴょんと跳ねている動きは、ちょっと可愛いかもしれない。 ルードが腕を組む。「最弱魔物の『グミ』だ。初心者の相手としてはちょうどいいだろう。そいつらを殺せば、ルード先生の親切は終了だ。さあ、やってみせろ!」「ピキーッ!」 そいつらはぴょんぴょん跳ねながら、襲いかかってきた!「うわ!」 俺は慌てて剣と盾を持つ。 すると―― デロデロデロ…… 何とも不吉な気配がした。手元の剣と盾は不気味な赤黒い色に包まれている。 ただでさえ無駄に重量があったのに、さらに重くなりやがった。ここまで来ると素手のほうがいいと思うくらいだ。「あぁ、すまん。その武具は呪われていたか。まあ後で解呪法も教えてやろう。とりあえず頑張れ」 ルードが無責任なことを言っている。 絶対わざとだ、あれ!「ピキ!」 どすっ! グミの一匹が体当たりをしてきた。「ぐふっ」 小さい割に強烈な体当たり。いや、俺が弱いのかもしれん。「ピキピキ!」「ピーッ!」 立て続けに三匹からぶつかられて、俺は思わず膝をつきそうになる。 だがここで体勢を崩せば、よってたかって襲われて死ぬ。ルードは助けて……くれなさそうだ! 俺は必死に周囲を見た。 洞窟はそんなに広くはなく、奥に行くに従って幅が狭まっている。 奥の壁を背にすれば、三匹同時に攻撃されることはないだろう。「くそっ!」 重すぎる両手の剣と盾を引きずるようにして、俺は洞窟
床にへたり込んだ俺の目の前に、小瓶に入った液体が差し出された。 少し目を上げるとニアがいる。「お疲れ様。最初としては頑張ったと思うわ。このポーションを飲めば体力が回復するから、どうぞ」 彼女はルードよりはよほど信頼できる。 瓶を受け取って赤い液体を一気にあおった。 味は正直、薬臭くてうまいとは言えない。 それでも渇ききった喉を滑り落ちる感触が心地よい。 すっかり飲み干すと、確かに体が楽になった。 俺は立ち上がって空き瓶をニアに返した。「それから、これも」 ニアは今度は古びた巻物を渡してきた。「これは?」「解呪のスクロール。いつまでも呪われた装備だと、困るでしょう。後で読んでみて」「ありがとう!」 まあその呪われた装備をそうと言わずに寄越したのは、そこにいるルードなんだが。 ちなみにヤツは全く反省のない顔で、肩をすくめている。「親切にしてやるのも、もう十分だな。ニア、そろそろ行くぞ」「うん」 ニアとルードは連れ立って洞窟を出ていく。 洞窟の出口でニアが振り返った。「ここから西の海岸を南に行けば、町があるから。一度行ってみるといいわ。それから焚き火の横の袋は、あなたへのささやかなプレゼント」「俺からも最後の忠告だ。森の民の尖った耳は、差別と迫害の対象になる。町に行くなら隠しておけ」「お互い生き延びていれば、またいつか会えるわ。さようなら」 二人は口々にそんなことを言って、今度こそ本当に洞窟から出て行った。 大して広くもない洞窟の中で、俺は一人になった。「さて、ニアの言う『プレゼント』は、っと……」 俺はまず、袋の中身を確認してみることにした。 背負うのにちょうど良さそうな大きさの袋の中には、カチカチに固いパンと干した果物、さっきもらった赤いポーションがいくつか、それから色違いのポーションと巻物が何枚か入っていた。 ルードの呪われた装備よりよっぽどまともである。ありがとう、ニア。「まずは装備の解呪をしないと」 赤黒く光る剣と盾は手から離れてくれず、しかもやたらと重くて不便で仕方ない。 俺はもらった解呪のスクロールを開いて読んでみた。 口に出して巻物の文字を読み上げると、装備が白い光に包まれた。 おっ、これが解呪か? そう思ったのもつかの間、剣と盾の赤黒い光が抵抗するように強まって、白い光を吹き飛ばして
魔力やスキルでわけが分からなくなってしまったが、俺はもう一つ心配があった。 それは、俺が一体どうして船に乗っていたのか思い出せないことだ。 ステータスでは俺は十五歳の森の民であるらしい。 しかしそう言われても実感がない。 正直俺は、自分がもっと大人のつもりでいた。二十代とか、何なら三十歳くらいのだ。 それに時折自然に脳みそを流れていく、変な言葉や記憶たち。 某国民的RPGやら、底辺高校のヤンキーやら、バトル漫画やら。 俺にとってはこれらの方がよほど馴染みがあって、今の自分は突然どこか別の場所に放り込まれたようにすら感じる。「異世界転生……?」 スキルやらステータスやらがある以上、ここは俺が本来いた場所ではない。そう確信がある。 ならばここは別の世界で、俺自身も前の俺ではない。 それこそゲームやアニメで聞いたことのある、別の世界に生まれ変わる――異世界転生をしてしまったと考えるとしっくり来た。 船が沈没したショックで前世の記憶を思い出したってとこか。 思い出した引き換えに今までの十五歳分の記憶が消えてしまったのが痛いが、今さらどうにもならん。「いやあ、どうするかなぁ……」 俺は心の底からのため息をついた。 異世界転生したらしいと分かっても、事態は何も変わりはしない。 俺の両手は呪われた剣と盾が張り付いており、ステータスはほぼオール1で、頼れる人は誰もいない。 何もかもが絶望的だ。 けれども俺は死ぬのは嫌だった。 というか、こんなわけの分からん状態でわけの分からんままで死ぬとか、誰だって嫌に決まっている。 船の難破も、ルードみたいな性格クソ悪野郎に生肉食わせられたのも、理不尽な目に遭うのはもうコリゴリだ。 死んでたまるか。 生き延びてやる。 俺の願いは生きること……! これからこの世界で、きっちり生ききってやるんだ! 他でもない、俺自身の力で!! そう決めたら、腹の底から力が湧いてきた。 そうだ、このままじゃいられない。やられっぱなしでいられるか!「町に行ってみよう」 このまま洞窟でこうしていても、ただ時が流れるだけだ。 町に行けばスキルが習えるかもしれない。そうしたら呪いも解ける。 生きていくのに必要だった。「腹が減ったな」 これから長時間の移動をするのだ。余裕のあるうちに飯を食っておこう。 俺は
袋の中身は少々の食料と、何色かのポーション。それに巻物がいくつか。 うち、赤色のポーションは体力を回復する。これは自分の体で体験済みだ。 では赤色以外のポーションと巻物はどうだ。 解呪の巻物は何の役にも立たなかったが、攻撃に使える巻物はないだろうか。 そう思って巻物を取り出してみたがけれど、これがどんな効果を発揮するのか皆目分からん。 そういえば解呪の巻物もニアが「これで解呪できる」と渡してきたからそういうものだと分かったのであって、俺が解読したのではなかった。 だが、それならとりあえず読んでみよう。やってみればよかろうなのだ。 解呪も失敗はしたが、白い光が出てきた。俺程度の魔力でもちゃんと発動はする。 俺はボロボロの巻物を手に取った。 開いて呪文を読み上げる。すると……「――えっ?」 ヒュン! と軽いめまいのような感覚がして、次の瞬間、俺は地面に立っていた。 場所はさっき登っていた木から十メートルちょい離れた場所か。 なんだこれ。瞬間移動した!? 木の上から消えた俺が地面に立っていると気づいて、グミどもがわらわら転がってきた。 ぎゃああああ! 俺は再び猛ダッシュして、手近な木に登った。「なんだこれ! なんだこれ! また死ぬところだったぞ」 何とか別の木に登って、俺はゼエゼエと荒い息を吐く。 やっぱり効果不明のものに思いつきで手を出すのは良くない……。 俺はとても反省した。 次。 反省した俺は、少しでも効果を確かめてから使うことにした。 巻物はもうどうしようもない。だって、いくら眺めても効果の予想ができないからな。 俺はポーションの瓶を取り出した。 赤以外では、緑色、ピンク色、透明(わずかに黄色)がある。 それぞれ瓶のふたを取り、匂いをかいでみる。 緑色のポーションは生臭い匂
断ろうと思ったが、その子供と目が合ってしまった。 年齢にそぐわない全てを諦めきったような目。ろくに食事をもらっていないと分かる、ガリガリの体。 髪の色は金髪だと思うんだが、薄汚れてぱさぱさなのでよく分からない有り様だった。 今日買った三人の奴隷は、拠点で生産しながら店番をしてもらう予定だ。 ダンジョンに連れて行くつもりはないので、危険はない。 それなら――「分かった。その子も買うよ」「毎度あり!」 奴隷商人のホクホクした顔がムカつくが、俺は黙って代金を支払った。 四人合わせて金貨六枚なり。 全財産の金貨二十二枚から出して、残りは十六枚。まだ大丈夫。 魔法契約で俺を主人に設定する。 農業スキル持ちのササナ人はイザク。 錬金術スキルの女性はレナ。 宝石加工のじいさんはバド。 少年はエミルという名前だった。「みんな、これからよろしくな」 声をかけても反応が鈍い。 エリーゼがとりなすように言った。「皆さん、ご主人様は優しい方です。どうか安心して仕事に励んでくださいね」 同じ奴隷のエリーゼの言葉は、少しは響いたようだ。 彼らはもそもそと挨拶をしてくれた。「反抗的な態度を取ったら、容赦なく鞭打ちをおすすめします。鞭も売っていますよ。銀貨二枚」 奴隷商人がそんなことを言っているが、無視だ無視。 俺は奴隷たちを引き連れて、市場を出た。 夜になるまでまだ間があったので、服屋に行って奴隷たちの服を買った。 奴隷制は嫌いだが、必要以上に甘やかすつもりはない。 これからしっかり働いてもらわないとな。 でも、不潔でボロボロの服は良くないだろ。 一年前までボロばっかり着ていた俺が言うんだ、間違いない。 次に宿屋の部屋を取った。 そこで桶と湯を借りて、それぞれ体を洗わせた。不潔は病気の元だからな。 さっぱりした奴隷たちに新しい服を着せる。 これ
その奴隷を見てみると、浅黒い肌に大柄な体をしていた。骨太な体格だが今は痩せてしまっている。 パルティア人とちょっと毛色の違う感じがする。経歴書には「ササナ人」とある。 ササナ国は確か、パルティアの南にある小国だったな。 確かに農業スキル持ちの割に、お値段が安い。 農業は農奴として人気のスキル。普通ならば引く手あまたのはずだ。この値段では買えないと思う。 反抗的ということで割引中なのだろう。 あるいは、態度が良くなくてどこかの農園を追い出されたとか?「反抗的でも別にいいよ。仕事だけきちんとやってもらえれば、文句はない」 俺が言うと、ササナ人奴隷はちょっと目を見開いた。 まあ、仕事をサボってばかりだとか他の奴隷たちを虐めるだとか、問題行動があまりにひどかったらその時に対応を考えよう。 彼をキープしてもらって、次の人の吟味に入る。 生産スキルはたくさんがあるが、特に欲しいのは鍛冶と錬金術、宝石加工だ。 鍛冶は武具を作るスキル。 良い武具はダンジョン攻略の要だからな。 武具は店売りのものでは性能が物足りない。かといってダンジョンでドロップを狙うのはあまりに運任せすぎる。 ある程度の性能を狙っていく場合、鍛冶スキルは必須になるだろう。 で、錬金術はポーションを作るスキル。 混乱やマヒのデバフ系ポーション、それに回復系のポーションはダンジョン攻略に必須である。 宝石加工は護符やアクセサリーを作る。これも武具に準じる装備品だ。 しかも壊れやすいので半消耗品でもある。しっかり確保したい。 次点で魔法書製作。 魔法書は魔法屋で買うかダンジョンで拾うかしか入手経路がない。 で、魔法屋の品揃えもそのときによってまちまちなのだ。 安定してよく使う魔法の魔法書が手に入るなら助かる。 ただ、俺の得意とする魔法は初歩のマジックアローや戦歌、光の盾など。 これらは店でもダンジョンでも比較的入手
そうして向かった奴隷市場は、相変わらず胸くそ悪い場所だった。 やっぱり俺は奴隷制が嫌いだよ。 だいたい、どうして人間を道具としてお金で売買するのが許されるのか。 この世界、この国は理不尽が多いが、奴隷制度はその最たるものだと思う。 鎖に繋がれ、手かせをはめられた奴隷たちが狭い檻に押し込められている。 向こうではオークションをやっているらしく、台の上に立った奴隷たちが自分の名前と特技を書いた札を持っていた。 オークションを後ろの方から見ていたら、奴隷商人に話しかけられた。 愛想のいい笑顔を浮かべているが、同時に警戒心も見て取れる。 エリーゼを買ったのはならず者の町だった。 あそこじゃ盗賊ギルドのバルトが付き添いに来てくれたおかげで、待遇が良かった。 俺はここじゃ見慣れない顔だろうからな。「お客さん、見ない顔ですね。今日はどんな商品をお探しで?」 人間を商品と言ってはばからない。俺はイラッとしたが表には出さずに言った。「生産スキルが得意な人を探している。戦闘はできなくてかまわない」「それでしたら……」 奴隷商人はオークションから離れて、建物の一つに俺たちを招き入れた。 何人かの奴隷が引き出されてくる。 比較的若い人からお年寄りまで、さまざまだった。 そうして紹介された奴隷は確かに生産スキルを持っていた。 いつぞやのならず者の町の奴隷商人よりも優秀だな。あいつ話聞いてなかったからな。「エリーゼ。どの人がいいと思う?」 エリーゼに聞くと、その場にいた全員が意外そうな顔をした。 え、なに?「お客様はわざわざ奴隷に意見を聞くのですか。これはお優しい」 奴隷商人が嫌味な口調で言う。 そういうことかよ。俺は言い返した。「これから買う奴隷は彼女の仕事仲間になるんだ。相性も大事だろ」 本当は奴隷だって人間だ、お金で売り買いするなど間違っていると言いた
おっさんの言葉に俺は頭を巡らせた。 店を出す場所はよく考える必要がある。 まず、町の中はあまり良くない。すでに別の店があって競合してしまうから。 既にある店のほうが経営や仕入れのノウハウが豊富だろう。固定客もいるだろうし。 素人の俺がいきなり参入しても不利になってしまうと思う。 じゃあ店を出すなら町の外か。 街道沿いで人の多い場所や、ダンジョンがよく生まれる地域で冒険者相手に商売するのが良さそうだ。 もちろん、いい場所は既に店が出ている。だが現役冒険者である俺の視点から見れば、まだまだ穴場があるはずだ。「分かった。ありがとう」「おうよ。店をやるのか?」「まだ計画段階だけどね」 そんな話をして、俺は冒険者ギルドを出た。「どうでしたか?」 外で待機していたエリーゼが尋ねてくる。「王都で出店の許可をもらえるんだってさ。場所を考えながら王都まで行こうか」 王都にはこの国で一番大きな奴隷市場もある。人材の調達はそこですればいい。 この一年で配達やダンジョン探しをしてあちこち歩き回ったおかげで、この国の地理はだいたい把握している。 店を出すのにいい場所も、いくつか目星がついていた。 王都までの道すがら、手頃なダンジョンがあったのでいくつか攻略した。 寄り道をしたせいで少し時間を食ってしまい、王都に到着する頃には季節は初夏になっていた。 せっかくここまで来たので、直近の税金を納めておく。もう脱税騒ぎはごめんだからな。 今度はヴァリスに呼び出されることもない。 お役所に行って新規出店について案内を聞いた。 担当のお兄さんが言う。「店を出すには許可証が必要です。こちらの申請用紙に記入の上、お金を添付してください。金貨三枚です」「なかなかお高いですね」 金貨一枚あれば、一人暮
「違う違う、エリーゼが嫌いという意味じゃない! 奴隷制度そのものに反対ってことだよ。だってお金で人を売ったり買ったりするなんて間違っている。エリーゼだって子供の頃は開拓村の自由民だったんだよな。それが奴隷になってしまって、嫌だっただろう」「わたしが奴隷になったのは、親に売られたからです。わたしを売ったお金で家族は冬を生き延びました。仕方ないことです」 いきなりヘビィな話が飛び出した。 分かってはいたが、この世界で日本の常識も良心も通じやしない。 けれど割り切るのは嫌なんだ。 前世の話をして理解してもらえるわけはないので、説明に苦労した。 けれどエリーゼを嫌っているわけではないこと、奴隷制度そのものに疑問を持っていることは分かってくれたらしい。「ご主人様は優しいですね」 と微笑まれてしまった。「けど、この国に奴隷制があるのはどうしようもないですよ。だったら奴隷を買って、わたしみたいに優しくしてあげて、生きる力を育ててあげてください」 この国の人間で今なお奴隷身分の彼女の言葉には、説得力がある。「……分かった。ただ、養う人数が増えればお金や食べ物の問題も出る。少し考えさせてくれ」「はい」 エリーゼの言葉で、俺は業務拡大(?)の決心をした。 今の俺の実力は、上級冒険者といって差し支えない。 中堅クラスのダンジョン攻略は問題なく進めて、ボスから得た装備品も充実した。 クマ吾郎といっしょに効率よく戦闘を繰り返したため、短期間で強くなれたのだ。 当然実入りも良くなって、貯金はかなり増えた。 だが、何人もの奴隷を買って彼らを養うとなったらどうだろう。 生活費を稼ぐためにカツカツになってしまっては意味がない。 奴隷の皆さんにしっかり働いてもらって、さらに利益を上げなければ。 そのためにはどんな人材を買って、どんな仕事を割り当てるか熟考の必要があ
この遺品――冒険者の日記の重要な点は、店で売っていたりダンジョンに落ちているポーションよりも高品質なものを作れると書いてあるところだ。 質の良いポーションであれば、レベルの高い魔物に通用する可能性がある。 混乱やマヒのポーションは、うまく決まれば相手を無力化できる。 ダンジョンで無限に出てくる魔物相手に、いちいち正面から戦うのは無理というもの。 だからぜひとも、無力化できる手段がほしかった。 一時的に無力化できれば、あとはボコるも逃げるも自由だからな。 錬金術はスキルである。 王都の冒険者ギルドで習えたはずだ。 その他にも生産系と思えるスキルは、あちこちの町にあった。 今までは余裕がなくてスルーしていたが、そろそろ取り組んでみよう。「ご主人様、考えは決まりましたか?」 部屋で待機していたエリーゼが言った。 ふと思いついて、俺は言ってみた。「エリーゼは裁縫スキルを持っていたよな。あれ、服とか作れるのか?」「どうでしょう……。わたしのスキルは低すぎて、繕いものをするくらいしかできません。でも、スキルを鍛えればできるようになるかもしれませんね」「なるほど」 スキルを最初から持っているのは強みだ。鍛えてみる価値はあるだろう。 さすがの俺も、全ての生産スキルを一人で極めるのは大変すぎる。手分けするのはいいアイディアだ。「ダンジョン攻略、ちょっと行き詰まってきだだろ。だからここらで方向転換しようと思ってな」 俺はエリーゼとクマ吾郎に考えを話して聞かせた。 二人ともうなずいている。「幸い、スキル習得に必要なメダルはたくさんある。これから各地を回って、めぼしいスキルを覚えてこよう」「はい!」「ガウッ」 そうして俺たちは春の季節を移動と町めぐりに費やした。 各町で見つけた生産系スキルは以下の通り。 鍛冶。ハンマーを振るって金属を加工し、武器や防具を作る。
パルティア王都から無事に帰ってきて以来、最近の俺は方向性に悩んでいる。 今日も盗賊ギルドの一室で、一人うんうん唸っていた。 レベルが上ってスキルやステータスも上昇し、中堅クラスのダンジョンを攻略できるようになった。 戦闘スタイルは以前と同じ。 クマ吾郎を前衛に、俺が剣、魔法とポーションでサポート。 最近はエリーゼが加わったが、彼女はあくまで補助要員である。 戦力としてカウントするには心もとない。 そのため、基本戦法は変わらなかった。 今の俺は中級冒険者の中でも、腕利きの実力といえるだろう。 それはいいんだ。 けれどもどうにも先行きが不安になっている。 というのも、ダンジョンの難易度が上がるに従って、混乱やマヒといったデバフ系ポーションの効きが悪くなっているのだ。 特にボスには牽制程度にしかならない。 このままの戦い方では、近いうちに行き詰まるのが目に見えている。 また、税金の滞納で犯罪者になった件。 それにヴァリスに頼まれて確認しに行った謎の洞窟の件。 これらのできごとは、国家権力に対して個人の無力さを思い知らされた。 少しくらい腕前が上がったところで、権力の前には意味がないのだ。 さらに難易度の高いダンジョンを効率よく攻略する方法。 権力を前にしても簡単に負けないだけの力。 もっと強くなりたい。 もっともっとお金を稼いで、クマ吾郎やエリーゼにいい暮らしをさせてやりたい。 この世界の理不尽から守ってやりたい。 難題ではあるが、全てはつながっているようにも思える。 個人の冒険者として誰にも負けないほどの腕を。 そして、お金の力を背景とした権力を。 つまり、目標が高くなっただけで今までと変わりはないのだ。 目標自体は変わらないが、そのための手段は変える時期である。 特にお金だ。 ただ暮らすだけであれば十分な収入があるが、それ以上を望むとなると…&h
俺はさらに観察を続けた。 壁は石だと思ったが、よく見ればどこか有機的な印象も受ける。 貝殻とか亀の甲羅とか、あるいは象牙のような。硬質だけれど生き物の痕跡を感じる、あの感覚だ。 ふと、壁の上部と左右にくぼみがあるのを見つける。 上部のくぼみは剣の形。 左のくぼみは丸い形。 右のくぼみは丸に尻尾が生えたような……あれは勾玉だろうか。 手を伸ばしてくぼみを触ってみる。やはり弱い魔力が感じられる。 だが、それ以上は何もない。 くぼみ以外の部分も指でなぞってみたが、何事も起こらなかった。「これは、『何もなかった』と言うしかないかなぁ」 壁を叩いてみたが、頑丈でびくともしない。 ただ、かすかに反響音がした。 もしかしたらこの壁は扉で、先は通路が続いているのかもしれない。確かめようがないけど。 それからもしばらく眺めたり触ったりしたが、何も変わりはない。 俺は諦めて帰ることにした。 時刻はもう夜だ。野営が必要になる。 俺は少し迷ったが、外に出て休むことにした。 ここの魔力は薄いが、どこか気味が悪いんだよな。落ち着いて休めない。 外に出ると真っ暗だった。月も星も分厚い雲に隠されてしまっている。 俺は久々に手近な木に登り、仮眠を取った。 いつもはクマ吾郎とエリーゼがいるから、交代で見張りをするのにな。『また来るといい、森の子よ』 眠りに落ちる直前。誰かの声が聞こえたような気がした。 翌朝、日が昇ると同時に俺は王都へと出発した。 おかげで昼になる前に到着する。 北門をくぐろうとしたところで衛兵に呼び止められて、王城へと向かった。 塔にあるヴァリスの執務室に入ると、彼が一人だけで待ち構えていた。「どうだった?」 問いかけに首を振る。「特に何も。不思議な場所だっ
頭の仲の映像として見えたのは、地図と地形だった。見えたというか、無理に流し込まれたような感覚だった。 場所は王都から北に半日ほど進んだ先。 森の中にある洞窟、その内部。「森の洞窟が見えました。場所は王都の北」「ああ、間違いない」 俺が答えると、ヴァルトは少し複雑な顔でうなずいた。「その場所まで行って、洞窟の中を確認してきてくれ。それが仕事だ」「確認とは? 何をすればいいんですか」「文字通り見てくるだけでいい。きみの森の民としての目で見て、異常がなければそれでよし。もしも何か気付いた点があれば、教えてくれ」「はあ」 なんともふわふわした話である。ヴァリスらしくもない。「この件は他言無用だ。もしも話が漏れた際は、覚悟するように」「は、はひ」 ヴァルトに凄まれた。すごい威圧感なんですけど。怖。「きみが戻ってくるまで、奴隷と熊は預かろう。すぐにでも発つように」 人質というわけか? そこまでしなくても裏切るつもりはないがな。 部屋を出る。 扉の両側に立っていた騎士に睨まれた。 エリーゼとクマ吾郎の姿は見えない。 ヴァリスのことだから、手荒な真似はしていないと思うが……。 不可解な思いを抱えながら、俺は北に向けて出発した。 クマ吾郎もエリーゼもいない。 たった一人で野外を歩くのは久しぶりである。 寂しいような気持ちと、最初は一人だったという懐かしい気持ちが入り混じった。 時間はもう午後だったが、俺は一路北に向かって歩みを進めた。 夕方、日没の少し前に目的の洞窟を発見する。 森の奥深く、崩れかけた土の斜面に狭い入り口が開いている。 これは、事前に教えてもらわないと見落としてしまうだろうな。 背を屈めて入り口をくぐった。